開催日時:令和4年5月20日(金)6・7時間目
場所:九里学園高等学校 ALA教室
参加者:プログレスコース1年生17名・2年生16人・3年生24名
[活動内容]
貧困を考えるワークショップを行った。まずは、ガーナを旅する日本人グループが、カカオ農園で働く子ども達と交流するというテレビ番組を視聴。チョコレートを食べたことがない子どもに、チョコレートをあげるべきか、あげないか個人での意見を考えた。その後グループ内で話し合い、チョコレートをあげるかあげないか、グループの意見とその理由を全体に発表した。テレビ番組の出演者たちはチョコレートをあげるという判断をしたが、自分たちの意見と比較しながら、カカオ農園で働く子ども達の幸せとは何かを考えた。
後半では、世界に存在する貧困と、日本にある貧困について学ぶ。あるテレビ番組で特集された若者や子どもに対してのコメントを読み、「自己責任だ。」「子どもを養ってあげない親の責任だ。」などの批判的な意見に対して、どう考えるかをグループで話し合って発表。その後、特集された若者や子どもの背景を知ると、今までの意見とは違う考えを持ち始めた。表面では見えてこない問題を深く掘り下げながら、日本国内で起こっている貧困問題についても考えることができた。
[生徒の振り返りまとめ(原文まま)]
設問 1 カカオ農園で働く子どもたちについての学習(貧困・児童労働)で、学んだこと・気づいたこと・考えたこと・感想など
- 自分たちが好きでもないのに苦労して栽培しているものがどんなものになっているのかわかっておらず可哀想だと思った。また、カカオ農園で働く人たちをそうさせたのは先進国だと知ってショックだった。 もしカカオ農園で働くのが私だったら耐えられないし、カカオ農園で働く上での苦労を知らないで美味しいチョコを食べてる人達を許せないと思うので そこで働く人達は本当にすごいと思うし、私たちからしたら感謝でいっぱいだなと、改めて感じた。
- 改めて世界の貧困について考えるいい機会になった。助けてあげたい気持ちはあってもそれを行動にできていない人が多くいると思うし、どう行動するのがいいのかすら分からない人も多くいると思った。
- 子供にチョコレートを渡す渡さないの議論で、その子供たちの将来や自分の気持ちを考えた時にどうすればいいか分からなかった。カカオがなんのために使われているのか分からないまま1日何時間も働いている事に同情してしまう所があった。 新しくレインフォレストアライアンスというものを知ったけど、フェアトレードでも普及率や認知度が低いからこれから浸透していくには時間がかかりそうだと感じた。 話し合いの時に3年生の先輩方が進めてくれたり、共感してくれた事で不安だったけどとても有意義な話し合いができた。
- あんなにもカカオを作っているにもかかわらず、チョコレート1枚分より少ない約55円の収入しか貰えないということに驚いた。 チョコレートをあげる、あげないを自分の視点から考えるだけでなく、自分が子供たちだったらどうだろうという相手の視点にたって考えることも大事だということを学んだ。また チョコレート1枚1枚にたくさんの苦労がかかっていると知ったので大切に食べていきたいと思う。
- チョコの原料となるカカオを育てているのに、チョコを食べたことがないのが可哀想だと思った。私たち先進国の人々が思うようにやって途上国の人に幸せを与えられないのが先進国の課題だと思った。
- カカオ農園については、中学校で同じようなことを授業でしたことがあった。今回もやって見て先輩方の意見など聞いて、また違う目線で考えられた。ああいった現状に目を向けるのが探究の第一歩だと気づくことも出来た。
- 子どもたちにチョコレートをあげるかあげないかについて、自分は去年はあげないという意見を持っていたが、去年の話し合いなどからあげる意見に変わった。自分の中でチョコレートをあげることで子どもたちにネガティブな感情を生ませてしまうのではないかという意見も、あげないという選択をとれば現状維持と変わらないという意見もあり、最後までどちらにするか悩んだ。 自分達が貧困で苦しむ人にできる最善のことはなにか考えることが大切だと改めて実感した。
- この題材は2回目だったが、とても迷った。もし自分がその場に居たらきっとあげていたけど、子供たちの立場に立って考えてみた時に難しかった。
- フェアトレード商品にも問題があって、それだけに目を向けてもダメなのだとわかった。カカオ農園の子供にチョコをあげるかどうかの問題は、去年も考えたけれど、とても難しいと思った。最初はあげない方がいいと思っていが、あげた時の子供の笑顔を見るとどうしてもあげたくなっちゃうなと思った。
- 先進国と途上国との間の格差を深く改めて実感したり、自分だったらという立場で考えたりしたなど、日常生活を振り返りながら学んだ。最初はチョコをあげないという立場だったのが、汗水垂らし大人でも大変な作業を、黙々と取り組んでいる子供達を現場で見たら、気持ちが勝ってあげちゃいそうだなと思い、意見を変えた。チョコを食べたことによって、また食べたい、食べるんだという生きる希望ができ、カカオがこんなにも価値があるんだと知り、自分の仕事に対して少しでもいい兆しが向くのではないかと思った。
- 先進国というのは発展途上国を国としてでは無く一つの大規模な専門的な工場にしていると思った。その影響でモノカルチャー経済の悪化や貧困の人たちが出てしまうのも納得した。 そんな中でも自分の夢を持ち1日を家庭と将来のために費やしているたくましさに感動した。それと同時にこんなに行動力のある人たちのために発展途上国の人を苦しめている国の1人ではあるがなにか出来ないのかと必死に考えることができた。しかし結局訴えやその国への支援それに対する反感をおぼえる国が出てきて争いがおきてしまう。悪い意味で先進国は軍事費の割合が高い国が多いので徹底的に懲らしめられるといった同じ歴史を歩みかねない。 国同士の対等な関係やグローバル化はいち早く達成しなければならないと実感した。
- 改めてカカオ農園で働く人たちの生活を見てみて、自分達との生活との違いに驚かされた。また、チョコをあげるかの議論では、班員で意見を出し合い考えを深められた。私は最初チョコをあげる派だった。でも、班の人の意見を聞いて最後はあげない派になった。チョコをあげて喜んでくれたり、夢を持ってくれたりしたらいいなと思っていたが、それはあくまで私がそうなって欲しいと考えてそれを想像しているだけであって実際はどう思うのか分からないなと思った。また、映像ではチョコをあげて笑顔になってくれたけど、それはチョコが美味しくて笑顔になっただけであって、その後彼らがどんな風に思ったかは分からないなと思った。
- 動画を見てチョコレートをあげるかあげないかっていうのをグループで話し合ったりした時に、あげないっていう意見にもあげるという意見にも共感できて、最初はどちらか選択することが厳しかった。チョコレートやサッカーボールなどをあげた時にあんなに幸せそうな笑顔を見てしまったら私がその立場になった時にチョコレートをあげてしまうだろうなと感じた。 そして、学校に通っているのはまだいいとして帰ってきてからずっと家の手伝いをして働いているのに年収2万円程度だと言うことに衝撃を受けた。日本にいれば1日から3日くらいで2万円を稼げるし、労働の大変さや労働時間も比べものにならないと考えた。
- この授業を受けるのも3回目だが、毎回チョコレートをあげるか否かで迷い結局自分の気持ちでチョコレートをあげる方を選択していた。 しかし今回は支援する自分の視点と支援される相手の視点から考える事が出来た。 以前までは振り返りの際にどのような支援をしていくべきかといった観点から考えていたが、これまで3回の授業を通して支援ではなく現状をどう少しでも良い方向に持っていけるか考えることも大切なのではないかと思った。
- 貧困,児童労働は先進国が作り出したものだから先進国がサポートしなければいけない。けれども改善されていかないので民間団体がサポートに回るのが1番いいのかと思った。こういうのが国に広まれば意識が変わる人がいるのかもしれない。意識を変えるためのアイディアを考えていくのが先かも。
- 先進国がつくった社会構造が、貧困をつくりあげたということを学んだ。 チョコをあげるか毎年迷うが、やはり持続可能な支援が大事だと改めて思った。
- 1日の半分が仕事にも関わらず、低収入であることに悲しくなった。映像の途中にあったように、1900年頃からカカオの生産を取り組み、1956年に独立をしたが、カカオの値段が下がってしまったため低収入になっている。この部分で私が思ったことは、低収入になっているからこそカカオにしばられなくて良いのではないかと考えた。そして、もう一つの考えとしては、ガーナ国内でチョコレートを作れる施設をできるようになるように、先進国が補助してあげれると良いと思った。そこで生産できるようにすると収入などの面でより良くなると感じた。
- 3年目にしてもやっぱり、 悩まされる話だと思った。 チョコをあげるか否か問題なんて、 実際その場にいたら絶対にあげたくなってしまう。だが去年の先輩が言っていて、なるほど思ったことだが、単発的な支援ではなくて持続的な支援じゃないと意味が無い。といった意見がずっと頭の中にあった。 他のグループの話を聞いた時に やっぱりそういった側面もあるから 難しいと悩んだ。
- 動画を見て、改めて自分が今学校に毎日通えて、美味しいご飯を食べれていることが幸せなことかを再確認出来た。いつも食べているチョコレートもたくさんの人の苦労があって出来ていることに感謝したい。そしてこの現状が何十年も前から知られているのに値段が変わらずに安く売られ続けているのも先進国の自分たちは知って終わりになっているんだなと感じた。
- 先進国がいい思いをしている裏には、途上国が辛い生活をしているという現実を改めて感じることができた。 あの場でチョコをあげるのもひとつの答えだとは思うけど、今後どういったことが出来るのかを考えていかなければならないと思った。
- 自分は、部活したり勉強したり普通の学校生活をおくることは他国からみるととても幸せなんだって改めて気づいた。カカオ農園で働く子を見て、苦しい状況でも努力して暮らして自分のしたい事を我慢して家族の為に働くのは本当に凄いことだと思った。貧困を無くすためにはどうしたらいいかもっと学んでみたい。
- 班の意見の中で1度きりの支援はするべきなのか。それをされてその後、子供達はどう育っていくのか。自分たちの選択で子供たちの心の中が変わってしまうかもしれない。などの意見があり、確かに自分たちがやることはただのお節介になってしまう可能性があるなと感じた。しかし、カカオ農園の子供たちを目の前にした時、やはりチョコをあげてしまいたくなったり、気持ちが勝ってあげるかもしれないという意見もあり、自分たちにできることは限られてくるけども、子どもたちを楽にさせることだけでなく、夢と希望をもたせ、彼らが明るい未来に向けて頑張れるようなポジティブな思考を持たせ続ける事なのかなと思った。
- このような貧困や児童労働が起こってしまった元凶は、先進国であることを再確認した。チョコをあげる・あげないという議題に関して班の中で意見が半々に分かれまとめるのが難しかった。理由としては、あげて自分たちはこんなにすごいものを作っているんだ、何かのきっかけになってほしいなど。あげないは、持続的ではないから、一瞬の幸せでしかないからなどがでた。どちらの意見も彼らが感じられることだと思う。児童労働や貧困、低賃金での労働などを知ることはできるが、実際にフェアトレード商品を買うという行動までには至らないのが現状である。私たちにできることは一体何なのか改めて考えてみたいと思った。
- ガーナの貧困に至るまでの過程を見て先進国はそこまでしてお金を独占しなければならなかったのか?と疑問に思ったが、前回の貿易ゲームを通してほとんどの国は自国の利益にしか興味がないため独占してしまったのだと理解できた。全体での話し合いでもあったが貿易ゲームの時に途上国が受けた訳のわからない支援ではなく子供たちが学校に通えるようになるとか、低賃金を改善するとか具体的な政策が必要なのだと感じた。
- 私たち先進国の人達のせいで貧困が生まれ、児童労働をさせられ、自由な時間や食べられるものもなく、生きていくので精一杯な人たちがいるのはどうにかしなくてはいけないと思った。それに対して売られるフェアトレード商品、なかなかお店で見かけることも無く、いつも行くスーパーで大量生産された買いやすいチョコを買ってしまう現状、どうすればもっと具体的に行動できるのかを改めて考えていきたい。また、誰かの幸せは自分で決めつけてはいけないんだなと気づいた。自分の選択が相手の表情の笑顔に繋がった時、こんなにも自分まで嬉しくなれることはないんじゃないかなと思った。
- 精先生が言っていたように、フェアトレードを学んでも生活でそれを意識していなかった。ああのワゴンのメンバーだったらと考えると、感情の伴った良い考えがみんなできたと思うの。しかしメンバーだったらというものでも第三者の立場で考えていたので、それだけではなくカカオ農園の子供の立場だったら?農園の人たちと過ごしたメンバーならという考えを自分の中だけでなく1,2年生に共有できていたらもっと深い考えができたと思った。
設問 2 日本の貧困に苦しむ2人のストーリーについての学習で、学んだこと・気づいたこと・考えたこと・感想など
- 貧困に悩まされるのは自分だけではなくその家族もなんだと思った。 お金が無いというだけでたくさんの人から差別されて怖いなと思った。 お金で人生がいっきに変わってしまうのがお金の怖いところだと思う。これからはお金の使い方により気をつけていきたい。
- 身近なところにも貧困が迫ってきていて、貧困で困っている人たちを助ける制度を作るべきだと思った。その人たちだけが悪い訳では無いと思うので、平和を掲げるなら全ての人に平等に資源が行き渡るようにしなければいけないと思う。
- 日本での貧困は他の国と比べると目に見えてわかるものが少なくて、自業自得と思われるケースが多いのかなと感じた。社会の様々な問題が複雑に絡み合って貧困が出来ていて、すぐ解決するのは難しいと同時に、絡み合っているものが少しずつ段々と解けていくことで貧困も解決していくような気がした。
- 金髪だから〜だとか決めつけてしまう部分が自分にもあったが、そういう髪型をしたりすることによって精神状態を保ったり、自分を表現する大切な方法にもなっていると考えると、見た目で人を判断することは難しいと感じた。
- 私たちは出かけることができるのは普通かもしれないが、お金がなくて思うようにできなかったり、友達と遊べなかったりという人がいて心が痛いなと思った。私たちはどうやって解決すべきかを考えることが大切だと思う。
- 先進国と言われている日本でも貧困があると知ってはいたが、知っていても衝撃を受けた。 どちらも周りから見放されているように感じ、とてもいい気分にはなれなかった。周りが気にかけてあげることで大分結果も変わったのではとも思った。
- Aさんについて、27歳、アルバイト、高校中退、金髪ピアスなどだけを切り取って見ると、勉強が出来ないことや職を転々としていることは自己責任だと感じてしまう。しかしその背景にはAさんの家庭環境の悪さがあり、外見などだけで判断するとその人が抱える問題に気付かないんだと感じた。小さい頃から周りの子との家庭環境の差などを感じてしまうと、自分に否定的になってしまったり、消極的にもなると思う。生活に困窮する人に対して自己責任だという言葉を押しつけてしまえば貧困という問題はなくならないと感じた。 ワーキングプア層も増えてきていて、その人が働かないから悪いなど、当事者の問題と捉えられがちだと思う。しかしその問題は当事者のだけのものでなく社会の構造などにあるということを知ることが大事だと感じた。
- 1部を切り取ったストーリーだけを見るのと、背景を知るのとでは感じ方が違ってきた。自分が置かれた環境が彼らの生き方に大きな影響を与えていると思った。
- 確かに、就活する時に金髪にピアスはダメだと思うけれど、金髪にピアスだからといって不真面目だ、とか判断されるのは少し違うかなと思った。2枚目のプリントを見ると2人の見方が少し変わってきて、これが日本で起こっていることに驚いた。
- 日本の16%の人達が貧困で苦しい生活を送っていることを学んだ。2人とも原因は親だと言った考え方をする人が多かったが、よく考えると小さい頃からの環境だったり親を憎んでいるか、いないかによって考え方は変わるんだと気付いた。成長のための栄養が十分に摂取できない状況だったり、純粋な子供なので、精神的にダメージが一生残ってしまうなどの課題を無くすために、子ども食堂や周りの人の気づきが大切だと思った。
- 世界の貧困に比べたら気づきづらいことだと思ったが決して見過ごせない問題だと実感した。 どちらのストーリーも子供に他人から偏見を持たれないように教養を教えたり何が間違っているのか教えて貰えたりする経験がなく、環境の問題もあるので100パーセント親がわるいとは言えない。 小学校で孤立してしまったら今後も孤立してしまう可能性が高いと自分は思っている。実際に僕の周りの人でも小学校でいじめられその後ずっと孤立している人もいた。だから僕は小学生というのはまだ自分のことしか見えてない頃であり、小学校で先生の手が届いてないのも今の日本で孤立や貧困が増えているのに関係していると思う。そのため中学校や高校の人との交流を増やすべきだと思う。中学生からに関しては思春期なのでいい意味で他人の視点などを考えられるので少しでも今の孤立している人を救ってあげられると思った。
- 今の日本は家庭環境や教育の力が子供の将来と深く関わっているなと感じた。働きたくても働けない人に関してはもう少し生きやすい環境になればいいなと感じた。その反面やはりアンチなどがきてしまうのには稼いでいたり、働きに出ている人にはそれなりの努力などがあるからこそ自己責任という言葉が出てきたりもしてしまうのかなと感じた。
- 外国の貧困とは違って目に見えずに貧困に陥っている家庭などが身近にあるのかな思うと怖くなった。また食で心も体も不安定な状態になってしまうというので高畠町のフィールドワークで習ったように食はやっぱり人間には欠かせないものなのだとはっきりわかった。最後貧困家庭の子供の話で友達と比べてしまって自分が惨めに感じてしまうという話でもし周りにそういう子がいたら相談にのって少しでも気持ちを軽くしてあげたりしたい。
- 私は特に1人目の男性について考えた、この男性の境遇を知ると自分も今と少しだけ違うだけでこの男性の様になっていたかもしれないと思い身近な問題に感じた。 現行の社会制度に様々な理由で1度だけでもドロップアウトしてしまうだけで自己責任と言われてしまう社会に憤りを感じた。また生徒にも男性の自己責任かどうかを先生が尋ねた際に多くの生徒が自己責任だと挙手していたことにも憤りを感じたと共に、今まで多様性について何回も学んできたプログレスコースの生徒でさえ自己責任と考える人が多数を占めていたことから、一般の人はもっと自己責任だと考えているのだろうと考えた。そんなことから自分も含めた日本人の根本的なところにまだ容姿で差別してしまったり相手のバックグラウンドまでを考慮しないで判断してしまう差別的意識が根付いているのではないかと考えた
- 貧困って言うのは誰の責任でもない気がした。周りの環境に左右されている人が多いイメージだった。見えない貧困を何とかして見えるようにできないだろうか。
- 今まで貧困問題を学習してきて、貧困が一概に不幸せとはいえない事も学んできた。日本はある程度生活水準が高いため、途上国の貧困より日本での貧困の方が生きづらいと私は思う。車を持ってるから保護を受けれないという話を聞いて、生活保護の申請条件を変えていかなければいけないと思った。
- その人たちの裏側の事実を知って感じたことは、表面的な面だけでは判断しづらいと思った。たしかに、表面的な面だけしか見えないからこそ、そこで判断してしまう。しかし、そのような人たち全員が自己責任や甘い人だけではないと改めて学んだ。そして、健一郎くんの話と関連して自分自身思ったことは、現代日本は少子高齢化となっている社会、子どもの人数が少ない一つとして、子どもを育てるのにお金がかかるといったことがあると思う。だからこそ動画をみて、子どもがいる親にとって、自分より子どもを優先しているため、生きるのに精一杯な気持ちになっているだろうと感じた。
- 断片的な情報だけでの判断は良くない、 ネットだけの情報では明らかに 知識にも偏りが出てしまう、本など確かな証拠や根拠があるもので 知識をつけていくべきだと思った。 2人目の小学生の男の子の話題の中で 「ヤングケアラー」といったキーワードも出たので、色々な可能性があることを考えてもっと深い学びをこれから自分も周りの人と一緒に出来ればいいなと思った。
- テレビやインターネットの文面では正確ではない情報や視聴者への狙いでわざと書き換えられたりしているのに恐怖感を持った。普段みている全てが本当とは限らないからすぐ鵜呑みにせずにいくつか記事とかを見る必要があると思った。貧困というと日本はあまり目を向けられないと思うが、子どもの貧困を含めたくさんいることが分かった。コロナ禍や円安による値上がりなどの影響も大きいのではないかと感じた
- 離婚率が高くなっている影響もあって、日本の貧困に苦しむ人がでてくることを知った。父子家庭よりも、母子家庭の貧困率が高いことを知り、女性の社会進出をどのように進めればいいのか、考えるきっかけになった。父子家庭と母子家庭の貧困率について詳しく調べていきたいと思った。
- 人の性格などを変えるのは環境が大事なのだと感じた。1人では生きていけなくて、頼りあって成り立ってるのだと思った。山形県の貧困率を調べた時に10%以上で貧困の問題はもっと身近な事だと思ってグローカルの授業をしていかないといけないと学んだ。
- 本来絶対的な味方であるべき法律によって生活に支障をきたしているのは、あってはいけないことだと強く感じた。時代とともに科学技術も考え方も常に変わり続けている世の中で、昔の考え方や思考を引き摺り、現代に対応していない司法やルールを見直し、新しい解決策を模索していく必要があると思った
- 彼らの壮絶な人生の一部を放映して非難するようなコメントをしている人たちは、少ない情報を湯呑みにしている。視聴者という立場の私たちは、その人に関わったことのないいわば関わりのない他人でしかない。なのに当本人又は、家族に対する非難な言葉を浴びせるのはおかしいと思った。でも多くの人は、背景を知らずに、攻撃的なコメントや思うことが多い。私が1番衝撃を受けたのは、貧困により国や県による支援を受けようとした時に、支援を受けたい人が車やスマホを持っているだけで支援をしないという結論を出すことに驚いた。支援してほしい人のニーズに行政は答えているのか疑問に思った。
- 今までは貧困問題はあまり身近なものではない他国の問題という認識が強かったが子ども食堂という施設ができているように子供、家庭での貧困が多いのだと感じた。また、貧困問題からいじめなどにより不登校になってしまったり精神的な傷を負ってしまうなどの問題も発生してしまうということを学べた。これについては学校側のいじめに対する対策や先生に関わらずそういう子も快適に過ごせるような環境をクラス、学校で作っていかなければならない。また、このような子供たちのためにも学校給食は絶対に必要だと考えた。
- 日本の貧困はみえにくいところにあるため、尚更偏見や誤解を産みやすいと感じた。様々な事情があるのにも関わらず、全ての貧困を自己責任や親の責任と言ってしまうのは、違うと思う。なぜ働けないのか、なぜ勉強できないのか、理由は様々あるのに分からないままに決めつけ、その人の環境を知らないでかけてあげる言葉はないんじゃないかと感じた。
- 特に1の方では、その文面だけでは自己責任だという意見も納得できる。しかし、勉強につまずくのは共感できるし、髪を染めたい、ピアスをあけたいなんていう考えは何も悪いことじゃないと思う。髪の色を含めた外見で人を判断するのは良くないと思う。今の時代ならなおさらだ。日本の学生がピアスなどをしてはいけないこと自体理由が分からない。それをしていて、一見柄が悪く、努力のない人に見えるが、続かずすぐ辞めてしまうアルバイトを何度もしているという所からその人の努力はわかった。その人の背景を聞くと、誰かが悪いと特定の人を批判するが結局はその人を取り巻くものが影響していると思う。そのため、父が、母が、先生が悪いのでは無くその人たちを悪い人にした原因を解決しなければいけないと思う。 しかし私も学生でピアスをしている人を見るとすごいなと思う。私も金髪、ピアスをよく思わない人達と同じなのかもしれないと思った。